2025年


ーーー2/4−−−  乳酸菌飲料の効果


 
昨年の6月頃から、乳酸菌飲料を飲むようになった。小さな容器(65cc)に入った、ヤ〇〇トのようなものだが、値段が半額程度の類似品である。以来、毎朝欠かさず飲んでいるが、これが絶大な効果をもたらした。

 何故飲み始めることになったかという事から説明しよう。仕事をしながら聴いていたラジオの番組で、短鎖脂肪酸が取り上げられていた。その物質が腸内に増えると、いろいろな点で健康に良いという話が述べられていた。免疫力が高まったり、お腹の具合が良くなったりすると言うのである。その事に関心を覚え、ネットで調べてみた。そして行き着いたのが乳酸菌飲料であった。

 この手の商品は昔からあるが、はたして効果があるのかどうか、半信半疑であった。と言うか、ほとんど関心が無く、真面目にとらえることをしなかった。長年に渡って販売し続けられ、しかも類似品がいろいろ出回っている現状を見れば、何らかの効果があることは推察できる。ただそれが、具体的に自分にとってどうかと言うことは、考えた事が無かったのである。その私に方向転換をさせたのは、例の短鎖脂肪酸の番組であった。

 もたらされた絶大な効果と言うのは、ズバリ腹下しが解消されたのである。私は何十年にも渡って、お腹の具合に不安を抱えてきた。長い目で見ると、調子が良い時期と悪い時期が繰り返されてきたが、ここ数年はあまり具合が良くない状態が続いていた。特に内臓のどこかが悪いわけでは無いし、もちろん食べ物が悪いわけでも無いのに、突然に下痢をもよおしたりする。その不安に、日常的に苛まれてきた。外出する際には、必ず常備薬を服用して家を出たものだった。その憎っくき腹下しが、乳酸菌飲料を飲むようになってからは、すっかり姿を消したのである。日々の便通も、とても良好である。こんなに簡単な事で積年の悩みが解決できるとは、なんでもっと早く気が付かなかったのかと、悔やまれるくらいである。

 ところで、以前通っていた整骨院の先生から、こんな事を言われたことがある。「消化器は、第二の心臓とも言うべき、大事な物です。具合が悪ければ、栄養を吸収する事が出来ず、健康に支障を来します」。ふくらはぎが第二の心臓という話は聞いたことがあるが、第二の心臓はけっこう多いようである(笑)。それはともかく、消化器の役割が重要だと言うのは理解できる。お腹の具合が良くなってから、全身的に健康状態が良くなってきたように感じる。

 乳酸菌飲料の効果を、はっきりと感じたこの数ヶ月であった。しかし、もしこの乳酸菌飲料が飲めなくなったら、例えば海外旅行へ行って手に入らなくなったらどうしようなどと、余計な心配が頭をよぎったりする。そういう心配性が、腹下しの別なる原因かも知れないが。




ーーー2/11−−−  コンビニのワイン


 午後になってカミさんが突然、だいぶ前に購入して冷凍していたステーキ用の牛肉を、冷凍庫から出して解凍しだした。

 今日は、何の記念日でも無い。何故そんな贅沢をする気になったのかと問うたら、「あまり長く冷凍しているのも良くないから、今晩使おうと思って」、だと。なんだ、そんな理由か。

 それはともかく、ステーキとなれば、赤ワインである。家に在庫は無いから、買いに行かなければならないが、こんな田舎ではどこに行けば良いか迷う。スーパーに行っても、なかなか気に入る物が無い。かと言って、酒類専門店へ行けば、やたら品揃えは多いが、価格が高い。

 冗談半分で、「近くのコンビニで買ってこようか」などと話したが、その後ネットで調べたら、コンビニが侮れなくなってきたらしい。以前は、「安かろう、悪かろう」のコンビニワインだったが、今では「安いけど良質」というふうに変わって来たもよう。それどころか、「ワインを買うならコンビニで」と言うくらい、評判が良いそうである。外国人観光客にも、コンビニのワインは注目されているそうな。

 なんでも、コンビニは、生産元や、流通業者と提携して、価格を抑えた良い品質のワインを、独自に販売展開しているらしい。その傾向は、どのコンビニでも共通しているそうである。

 それを知って、にわかに買いに行きたくなり、車で10分ほどの場所にあるコンビニへ向かった。店に入って、ワインを探したら、一般の酒類売り場とは別に、ワイン専用のコーナーがあった。ネットの情報は、本当らしく思えてきた。

 一本買って帰った。フランス原産の、カベルネ・ソーヴィニヨンである。とりあえず、コンビニワインのお試しとして、自分好みの品種を選んでみた次第。税込で1000円ちょっとの値段。さっそく夕食にいただいた。

 最初の印象は、香りが良く、美味しかった。しばらくすると、口当たりにくどい感じが出て来て、「やっぱりこの程度か」と思った。しかし、後半は持ち直して、美味しく飲み終えた。時間が経つにつれて、デキャンティングの効果が出たのかも知れない。結果として、価格の割には満足できる品質だったと思う。

 ともあれ、「ワインを買うならコンビニで」というのは、新たな気付きだった。こんな田舎では、朗報である。先に述べたように、スーパーなどでは、気に入るようなワインは、なかなか無い。安価だけど品質がイマイチと言う物が多く、とりあえず値段の高いものを探すといった感じである。そして、値段が高くても、品質に満足できるとは限らない。どういう基準で仕入れているのか、疑問を抱く事もある。地元の酒店に入っても、似たようなものである。

 ようするに、ワインが一般的ではない土地柄なのである。だから売る側も、力が入っていない。その点、コンビニというのは、商品展開が全国共通だから、ワインの品揃えも都会並み。都会のワイン好きをうならせるような品物が、田舎でも買えるのである。

 コンビニでワインを買おうと思ったら、まずネットでコンビニのワインを調べる。産地や、ブドウの酒類や、合う料理などの情報が手に入る。その中で、好みに合いそうな銘柄を見付けたら、お店に出向く。お店には、必ずその銘柄のワインがある。万が一品切れだったら、その場でスマホで調べて、別の物を探せば良い。このように、商品情報とセットになっているのも、有り難い。

 コンビニ会社が的を絞っている商品に限定されているのは確かである。悪く言うならば、大手資本のやり口に乗せられている感じはある。しかし、美味しいワインが安価に手に入るなら、気にすることも無い。もはや現代社会は、そうなっているのである。




ーーー2/18−−−  大判焼き屋の出来事


 松川村のショッピングセンターで買い物をしたついでに、高瀬川の向こうの池田町にあるS菓子店へ足を延ばした。この店は、大判焼きを作って売っており、美味しいので気に入っている。この方面へ出た時は、寄って大判焼きを買って帰ることが、これまでも度々あった。

 日曜日の夕方であった。店は5時に閉まるので、それに間に合うように時間を調整し、4時半ころ到着した。いつも通り、店の脇の駐車場に車を入れたのだが、珍しく何台も停まっていた。他に客がいるのかと思ったが、まさにその通りであった。店に入ると、狭い店内にU字を描いて、客が列を作っていた。これには驚いた。こんな事は初めてである。数えたら13人ほどいた。親子連れなどもいたから、買い手としては8件と言ったところ。

 通りに面したガラス窓の内側に大判焼きの設備があり、年配の親父さんが立っている。その手前におかみさんがいて、客の相手をする。いつもならのんびりとした老夫婦の生業の風景だが、この日は慌ただしかった。

 大判焼きは、黒餡、白餡、クリームの三種類ある。それをある比率で並行して焼いているようだったが、一回に焼ける数は限られている。見たところ、1ロットは20ヶくらいか。そのロットが品切れになると、次にかかるわけだが、タネの液を流し込んでから焼き上がるまでには、少々時間がかかる。客が望む品種と数量が、焼き上がったロットの数量と合えば良いのだが、そう上手く行くとは限らない。

 おかみさんが客の列に分け入って、紙に書き取りながら注文を聞く。順番が私まで来た時、どうやら品切れが生じたようだ。私が「白と黒とクリームを一つずつ」と言うと、おかみさんは「白は終わりました。黒とクリームだけで良いですか?」と聞いた。私はそれで良いと答えた。私の後ろの人の番になると、おかみさんは「これから焼きますので時間が掛かりますけど、お待ちになりますか?」と聞いた。その人はうなずいたが、その後ろに並んでいた客の中には、帰って行った人もいた。

 おかみさんは、注文を聞き終わると親父さんの所に戻った。そこからが、なかなか見ものだった。二人でワアワア、「あっちは黒4、こっちは白3とクリーム2」などと言いながら、注文の数を調整するのだが、それがなかなかややこしく、組み合わせのパズルをやっているようなもの。さらに親父さんの頭は混乱をきたし、焼き上がった数量が分からなくなっている。目印に黒白のゴマが付けられているはずだが、それもおぼつかなくなっている様子。「あれっ、これは何だっけ?」などと言うのが聞こえてくる。するとおかみさんが、客に背を向けたままこっそり大判焼の合わせ目を割り、「これはクリームだよ」なんて言う。まさにてんてこ舞いの様相を呈していた。

 結局20分ほど待たされて、お会計となった。「いつも夕方はこんなに混んでいるのですか?」と聞きたかったが、バタバタしていてそんな雰囲気では無かったから、二つ分の金額を支払って店を出た。

 待たされている間、店内をつぶさに眺める時間があったのだが、雑然といろいろな物が置かれている中に、色紙が数枚陳列されていた。それぞれ、県内のテレビ、ラジオの番組名とアナウンサーの名前が記された物だった。私が名前を見知ったアナウンサーの色紙もあった。それだけ取材が来ているということは、小さくて地味な店だが、評判の店なのだろう。味が良いということもあるだろうが、大判焼きを焼いて売っている店がこの地域では珍しいということも、ポイントかも知れない。大判焼きに限らず、鯛焼きやタコ焼きなどにしても、焼いて売っている店は見かけないのである。

 帰宅する途上、車の中は甘い匂いに満たされていた。毎度のことだが、なんとも幸せな気持ちにさせる、大判焼きの匂いである。




ーーー2/25−−−  マザー・テレサの言葉


人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、邪魔立
てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょ
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。




 この詩の作者は、厳密に言うと不明のようである。オリジナルは、米国のケント・キースという人が書いたもの。それを読んだマザー・テレサが感銘を受け、彼女が設立した「カルカッタの孤児の家」の壁に掲げた。それ以来、マザー・テレサの言葉として有名になっている。そのことをケント・キースが知ったのは、彼が詩を発表してから25年も経った時のことだった。そしてこの詩には、ケント・キースの原文とは若干異なる部分がある。

  最後の三行も、ケント・キースの原文に無い。おそらくマザー・テレサが加えたものだと思われる。この部分に関して、ケント・キースは「好ましい表現とは思わない」という感想を述べたそうである。人間相互の関係が否定されていると言う理由で。

 私は、この三行に、道徳と宗教のスタンスの違いが示されていると思う。

 この三行を除いて、道徳的にこの詩を読めば、「情けは人のためならず」ということになろうか。他人のための親切や善行は、結局自分のためになるということ。その循環で、社会が良くなっていくという考え方である。

 宗教的な見方ではどうか。マザー・テレサはキリスト教徒であったから、以下のような解釈になろう。

 他人に親切や善行を行なうのは、その人のためではなく、自分のためでもない。神様に喜んで貰うためである。神様は、自ら作り出した人類を愛しており、全ての人々が互いに愛し合うことを、求めているからである。

 ところで、神様に喜んで貰いたいのは、天国に行きたいなどと言う理由からでは無い。子供が親に良い事をしたいと思うのと同じ動機である。小さい子供は、親に褒められようとして良い事をするが、ある程度の年齢になれば、親が自分を無条件に愛している事を理解し、良い事をする動機は、親に喜んで貰うためと言うふうに変わって行く。